五十鈴川に芽生えた恋

伊勢神宮に来るのは初めてだった。
若い頃は気にも留めていなかった神事。しかし、五十の坂を越える頃から、日本の古代に惹かれるようになってきた。なぜだか分からない。

外宮を抜け、内宮近くにある猿田彦神社にお参りをし、三百年以上の歴史を持つ老舗・赤福で小腹を満たしてから、内宮を通って伊勢神宮の鳥居をくぐった。
厳かな雰囲気が辺り一面を包んでいた。

帰り道、一人の女性が私の脇を通り過ぎた。
オフホワイトにネイビーのボーダーラインの入ったカットソーに、ブルージーンズを合わせている。
肩まで伸びた黒髪が、初夏の爽やかな風に揺れていた。ネイビーのスエード風モカシンを素足に履いる。健康的な両脚がリズミカルな歩調をとっていた。
(一期一会、という言葉もあるからな)
その言葉を頭の中で反芻しながら、彼女に追いつこうと歩を速めた。

仄かにパフュームの香りが漂ってきた。
「ちょっと、失礼しますが・・近鉄鳥羽線の五十鈴川駅はどちらにあるでしょうか?」
彼女と肩を並べるやいなや、間髪入れずに声をかけた。
「ああ、五十鈴川駅ですかぁ、この道に沿って真っ直ぐ行って頂ければ・・」
振り向いた彼女は少し怪訝な表情を浮かべながらも、親切に答えてくれた。
「地元の方ですか?」
「そうですけど・・」
「じゃ、この辺で何か美味しいものを食べれるお店は知りませんか?」
「そうですねぇ~、じゃ、お蕎麦ですけでど『○○屋』はどうかしら?」
「いいですね。蕎麦、大好きですから。一緒に食べませんか?」
「え、一緒に?結構ですよ」
「そんなこと言わずに・・こうして知り合ったのも、何かの縁ですから、ね」
「う~ん、じゃ、一緒に食べるだけですよ」
「そうこなくっちゃ。じゃ、行きましょう。どこですか、その『○○屋』は?」

宇治橋から五十鈴川に沿って続く美しい石畳の通りには、切妻様式や入母屋様式の建物が軒を連ねている。
たくさんの飲食店やお土産物屋が、お伊勢参りをするために遠方からやってきた人たちを迎える。

『○○屋』は、約八百メートル続くこの通りの中ほどにあった。
二百年以上営々と商売を続けてきた歴史の重みが店のそこかしこに見られ、食事を取ったというより、歴史的建造物を見に来たといった方が正しいと感じた。
「蕎麦も美味しかったですけれど、お店の佇まいが素晴らしいですね!」
やや興奮気味に話すと、
「そう言って頂けると、お連れした甲斐がありましたわ」
口の端に微笑みを浮かべて、答えてくれた。
「少し散歩でもして頂けませんか?」
「どうしましょうかしら・・じゃ、五十鈴川の堤防でも歩きましょうか」
「いいですね。行きましょう」

先ほど寄った赤福本店を左手に、五十鈴川に向かって緩やかな坂を上った。
川に架かる橋の袂で彼女が急に立ち止まった。
「どうしましたか?」
「いえ・・ここ、遠い昔、初恋の人と歩いた場所なんですよ」
少し頬を赤らめながら、昔日の想い出に浸っている彼女の双眸はキラキラと輝いている。
その黒い瞳に誘われるように、そっと彼女の唇に自分の唇を重ねた。
「あっ、どうしましょう・・」

夕陽が、山の稜線に沈みかけいた。
その燃えるような橙色が、私たち二人の邂逅を祝っているようだった。

その夜、老舗旅館の畳みの間で、お互いの性欲を貪り合ったことは言うまでもない。