母の末期癌がキッカケで

ようやく猛暑が終わろうとしていた。
病院の窓の外では、昨夜の驟雨に洗われた中庭の芝生が、午後の強い陽射しを照り返して鮮やかな緑に輝いている。病室の中はしんと静まり返り、エアコンから吹き出る静かな冷気の音が聞き取るほどだ。腕に点滴のチューブを繋がれ、ベッドの上に半身を起こした母は鶴のように痩せていた。

元刑事で、今はしがない私立探偵の井上が、S市郊外にあるA病院に始めてきたのは、本格的夏が始まる六月下旬だった。女手ひとつで育ててくれた母が、末期癌で入院したのだ。担当医から母の病状を聞いた井上は、気が動転し、訳の分からない言葉を喚いていた。茫然自失となって、その場から動けなくなった。

そんな井上を優しく元気づけてくれたのが、看護師の奈緒美だった。 
丸顔に、時代遅れの黒縁眼鏡をかけた、三十代後半の女だった。薄ピンク色のナース服がピッタリと体の線を浮き上がらせて、豊満な双胸がいやがうえにも目立っていた。
「大丈夫ですから。心配しないで下さい」
「ええ・・・ええ」
井上は嗚咽を漏らしながら、言葉を振り絞った。
「お母さんは、貴方を遺しては死にませんからね」
誰にでも言っている台詞だと分かっていても、母以外身寄りのいない井上にとって、何よりも力になる言葉だった。
ぼさぼさだった白髪交じりの髪を愛用の櫛で梳いてやると、母は静かに眠りに落ちた。

人間の出会いは、不思議なものだ。
こんな切羽詰まった場面で、人妻でもある看護師と恋に落ち、セフレができてしまうのだから。